Do 19 (航空機)
ドルニエ Do 19は、第二次世界大戦時にドイツの航空機メーカーのドルニエ社で開発された4発重爆撃機である。1936年10月28日に試作初号機が初飛行を行ったが1938年に輸送機に改装され、他の2機は廃棄された。 概要ドイツ空軍は有効な重爆撃機戦隊を保有していなかった。ドイツ空軍の初代参謀部長のヴァルター・ヴェーファー中将はドイツが長距離戦略爆撃機戦隊を保有することの強固な提唱者であり、これがヴェーファー将軍下での「ウラル爆撃機計画」の推進となった。ドイツ航空省(RLM)の「技術局(Technisch Amt)」は4発重爆撃機の要求仕様を発行した。しかし1936年6月にヴェーファーが航空機事故で死亡すると、ヴェーファーの後任のアルベルト・ケッセルリンクは戦術爆撃機に専念するために長距離爆撃機計画を破棄した。 ドルニエとユンカースの両社はこの契約で競合し、1935年遅くに各々3機の試作機の発注を受けた。ドルニエ社の設計はDo.19の番号を与えられ、ユンカース社の試作機はJu 89となった。 歴史と開発ドルニエ Do 19は、ほぼ全金属製構造で片持ち式中翼配置の主翼と長方形断面の胴体を持ち、尾翼は同時期の英国のアームストロング・ホイットワース ホイットレイ中型爆撃機に酷似した支柱付の双垂直尾翼と方向舵が水平尾翼の上面に取り付けられていた。降着装置は尾輪式の引き込み式で、エンジンは幾つかの文献によると4基のBramo 322H-2 星型エンジンを主翼前縁のナセル内に装着することが予定されていた。
ヴェーファーの後任のアルベルト・ケッセルリンクはドイツ国が要求するものは、より多くの戦闘機と戦術爆撃機であると信じていたためV2号とV3号試作機は破棄され、V1号は1938年に輸送機に改装された。ドルニエ Do 19は試作段階までしか進まなかったが有用な長距離爆撃機となり得る設計の機体であった。 要目 (Do 19 V2)![]()
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