DJ.taiki
DJ.taiki(ディー・ジェー・タイキ、1982年8月24日 - )は、日本の男性総合格闘家。千葉県出身。元DEEPバンタム級王者 リングネームは「なんとなくかっこいいから」という理由で付けられた。 OGUNI GYMで打撃を習い、ニュージャパンキックボクシング連盟や K-1での試合経験もある。長いリーチから放たれる打撃が武器。 来歴高校時代にプロレスゲームでプロレスラーに憧れ、和術慧舟會RJW CENTRALに入門。2001年秋に和術慧舟會東京本部へ移籍した後、2002年1月にK.I.B.A.へ正式入門。 2002年12月8日、第13回全日本アマチュアシュートボクシング選手権大会の中量級トーナメントで優勝した。 その後、パンクラスのアマチュア総合格闘技大会で3連勝。 プロデビュー2004年4月25日、リングネームζ(ゼータ)でニュージャパンキックボクシング連盟でプロキックボクシングデビュー。 2004年10月15日、本名の畑大樹としてDEMOLITIONでプロ総合格闘技デビュー。 パンクラス・DEEP2005年2月27日、パンクラスデビュー戦となったネオブラッド・トーナメントのフェザー級(-64kg)1回戦で藤本直治と対戦し、判定負け。この試合よりリングネームをDJ.taikiに変更した。 2005年7月10日、パンクラスで元修斗世界フェザー級(-60kg)1位の今泉堅太郎と対戦し、判定勝ち。今泉と対戦予定であった宮川博孝が交通事故に遭ったために2日前にオファーが来るという緊急参戦であった[1]。 2005年暮れから2006年2月ごろまでブラジルに渡り、3週間ほどシュートボクセ・アカデミーに入門し、ルイス・アゼレード、アンドレ・ジダなどとスパーリングを行った。 2006年3月19日、パンクラスで前田吉朗と対戦し、TKO勝利を収めた[2]。同年6月6日のパンクラスフェザー級トーナメント1回戦では志田幹からTKO勝利を収めた。8月27日のパンクラスフェザー級トーナメント決勝戦では前田吉朗に判定負けを喫し王座獲得に失敗した。 2007年1月14日、3年ぶりにNJKFに参戦し健太と対戦。長く遠ざかっていたキックルールでの試合だったが、ダウンを奪い判定勝ち。 2007年春にK.I.B.A.を脱退し、5月30日のパンクラスよりフリーランスとして参戦。 2008年10月23日、DEEP 38 IMPACTで植松直哉と対戦予定であったが、植松の右肩負傷により中止になりDEEP 38のリング上で「収入源が無くなって困っている。怪我や病気で休まない選手とやりたい。」と植松に対し、挑発・批判した[3]。12月10日、DEEP 39 IMPACTで改めて植松と対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。 2008年12月14日、NJKFで行われたOGUNIジムの盟友・国分省吾の引退記念エキシビションマッチで、タックルからの投げでテイクダウンを奪うとパウンドで国分をKOした[4]。 DREAM・K-1・DEEP2009年2月10日、新春!DEEP&CMAファン感謝祭2009でDREAMフェザー級(-63kg)グランプリへの出場権をかけ元同門の昇侍と対戦、判定勝ちでグランプリへの切符を手にした。 2009年4月5日、DREAM.8のフェザー級グランプリ1回戦の所英男に判定勝ちを収めた。しかし、この試合で右眼窩底および眼窩壁を骨折し、ドクターストップとなり、2回戦には所が出場することになった。 2009年10月6日、DREAM.11のフェザー級GPリザーブマッチにて宮田和幸と対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2010年7月10日、DREAM.15で石田光洋と対戦し、0-3の判定負け。この試合から所属がマルワジム横浜となった 2010年3月27日、K-1初出場となったK-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg Japan Tournament〜にて渡辺一久と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。 2010年5月2日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-63kg Japan Tournament 1st Round〜で久保優太と対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2010年10月24日、DEEP 50 IMPACTで今成正和と対戦し、0-2の判定負けを喫した[5]。 2010年11月23日、シュートボクシング初出場となったSHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2010にて及川知浩と対戦し、2Rにフック連打によるKO勝ちを収めた[6]。 2011年6月19日、TENKAICHI Super Fightで全沖縄ミドル級王者廣虎と対戦し、2R後半にスタンディングダウンを奪われるなどして0-3の判定負けを喫した[7]。 2011年8月26日、DEEP 55 IMPACTで和田竜光と対戦し、0-2の判定負けを喫した。 2012年4月7日、DEEP CAGE IMPACT 2012 in TOKYOでTAISHOと対戦。2Rに両者のカットにより、2R終了時に両選手試合続行不可能と判断されてドクターストップ。2Rまでの判定によりDJの勝利と裁定された。しかし試合後、TAISHO陣営から「両者ドクターストップが妥当」である旨の訴えが提起され、DEEP主催者において協議を重ねた結果、両者ドクターストップによる引き分けと試合結果が変更された。 2012年12月8日、DEEP CAGE IMPACT 2012 in TOKYO 2nd ROUNDでバンタム級次期挑戦者決定トーナメントの1回戦として原田ヨシキと対戦し、3RTKO勝ちを収めた。 2013年2月16日、DEEP 61 IMPACTで北田俊亮と対戦し、判定勝ちでバンタム級次期挑戦者の切符を手にした。 2013年4月26日、DEEP 62 IMPACTのバンタム級タイトルマッチで王者の前田吉朗と再戦し、1Rにダウンを奪われたが、2Rにダウンを奪い返し、そのままパウンドでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。試合後には試合前に発言していた通り引退を表明した。 引退後、語学留学のためアメリカのサンディエゴへ渡る。 留学先のアメリカのスポーツバーでUFCの試合に熱狂する一般人を目の当たりにし、UFC出場を目指して現役復帰を決意。 当初はラスベガスでトレーニングを行っていたが、UFCとVTJの提携によるUFC出場をかけたトーナメントの開催を知り日本へ帰国。しかしトーナメントの開催日程が未定であったためDEEP代表佐伯繁やVTJと相談をした結果、長期ブランクが査定上不利になると判断してファイターとして10月26日開催の「DEEP 69 IMPACT」にて現役復帰することとなった[8]。 2015年、リアリティ番組「Road to UFC: Japan」に参加。ジョシュ・バーネットが率いるチームバーネットに所属。フェザー級トーナメント1回戦で長倉立尚と対戦し、3-0の判定勝ち。準決勝で廣田瑞人と対戦し、0-3の判定負けを喫した。 RIZIN2015年12月29日、RIZIN初出場となったRIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2015 SARABAの宴にて高谷裕之と対戦し、0-3の判定負けを喫した[9]。 DEEP2016年10月18日、DEEP CAGE IMPACT 2016 in KORAKUEN HALLで元谷友貴と対戦し、0-3の判定負け[10]。 2019年5月12日、DEEP 89 IMPACTのDEEPフェザー級タイトルマッチにて王者の弥益ドミネーター聡志と対戦し、2Rに右フックからのパウンドによるTKO負けを喫し、王座獲得に失敗した[11]。 2022年5月8日、|DEEP 107 IMPACTのDEEPバンタム級暫定王座決定戦にてCOROと対戦し、判定負けで王座獲得に失敗した。 人物・エピソード
戦績プロ総合格闘技
アマチュア総合格闘技
キックボクシング
獲得タイトル脚注
関連項目外部リンク
Information related to DJ.taiki |
Portal di Ensiklopedia Dunia