A-3 (航空機)A3D / A-3 スカイウォーリアー ![]() 飛行するKA-3B 142664号機
A-3 スカイウォーリアー(Douglas A-3 Skywarrior )は、アメリカ合衆国のダグラス社が開発し、アメリカ海軍で運用された艦上攻撃機。核攻撃を目的とした大型艦上攻撃機として開発され、のちには電子戦機や空中給油機としても用いられた。 愛称の「スカイウォーリアー (Skywarrior)」は、空の戦士の意。1962年の命名規則改定によって、A3DからA-3に改称された。 概要第二次世界大戦終了後、アメリカ海軍は核爆弾を搭載できる大型艦上攻撃機を求めていた。1940年代後半の核爆弾は技術的限界から大型のものしか製造できなかったため、核兵器運搬手段は大型機に限られ、核攻撃能力を保持していたのは大型の戦略爆撃機を保有するアメリカ空軍のみであった。 海軍はそれに対抗し、1946年から大型艦上核攻撃機として、AJサヴェージの開発を開始させていたが、引き続き新型の大型艦上攻撃機の開発を行うこととなった。海軍ではこの他にも対潜哨戒機P-2Vを改造した艦上核爆撃型のP2V-3Cや、核兵器を搭載可能な飛行艇であるP6Mなど、多彩な核爆撃機を開発していた。 開発1947年、アメリカ海軍は4社に「航空母艦より運用可能な、核爆弾の搭載を前提とした4.5tの爆弾搭載能力を持ち、3,700kmの戦闘行動半径を持つ艦上攻撃機」についての仕様要求を出した。これには、ノースアメリカン社のXA2J スーパーサヴェージとダグラス社のXA3D スカイウォーリアーの二案が選定され、ダグラス社の案は1949年3月には正式な開発契約が締結され開発計画が開始された。 AJ改めA-2 サヴェージの拡大発展型でありターボプロップエンジン+補助ターボジェットエンジン混載型のノースアメリカン社案XA2Jが主にエンジンの不調から開発が難航したのに比べ、後退翼に2基のターボジェットエンジンを搭載したダグラス社案の試作機は1952年10月28日に初飛行し高い性能を示し、採用が決定しYA3D-1と命名された。 配備先行量産型YA3D-1に引き続いて生産された本格量産型A3D-1は1956年から海軍第1重攻撃飛行隊(VAH-1)を皮切りに部隊配備が開始された。運用できる航空母艦はSCB-27C改装(蒸気カタパルト装備)とSCB-125A(アングルド・デッキ装備)を行い攻撃型空母に分類されたままのエセックス級[注 1]以降である。 1961年には、後継機のA3Jヴィジランティ(後のA-5)の就役により生産を終了し、また核攻撃任務からは外され、その後は大きな搭載能力を生かして電子戦機や写真偵察機、空中給油機に改装されている。 1962年にはアメリカ軍の名称整理により命名規則が変更されたため、A-3の呼称に変更されている。ちなみにこの命名規則の改正は、本機とA3Jの型番が紛らわしく、混乱を生じたのが理由のひとつであると言われる。 各種派生型に改造されたA-3は長期に渡って使用され、最終機の退役は1991年10月1日のことである。なお、アメリカ空軍においても改修型がB-66デストロイヤーとして用いられた。 機体![]() A-3は艦上機であるが、全長23mにも達する、開発当時としては屈指の大型艦上機である。主翼は高翼配置の後退翼で、翼下のパイロンにターボジェットエンジンを片側一基ずつ搭載している。 武装は胴体内の爆弾倉に搭載する構造であり、中期生産型までは尾部に自衛用のリモコン式連装20mm機関砲を搭載していた。機銃は後の改装により電子妨害ポッドに置換されている。 また、胴体後部にはエアブレーキを装備している。 電子戦機型では、爆弾倉を与圧キャビンに改修しそこに操作員を収容したほか、アンテナが増備されている。 なお、射出座席は搭載されておらず、緊急時には前輪後部の腹部ハッチか、キャノピーからの自力の脱出が必要となる。 諸元![]()
各型
→詳細は「B-66 (航空機)」を参照
現存する機体
脚注注釈
出典参考文献
関連項目
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