マイコンBASICマガジン
『マイコンBASICマガジン』(マイコンベーシックマガジン)は、電波新聞社が1982年から2003年まで刊行していたホビーユーザー向けパーソナルコンピュータ(パソコン)関連雑誌。略称は「ベーマガ」。判型は当初B5、1990年4月号からA4変形。発売日は当初は毎月10日で、1986年2月号から毎月8日となった。 2015年に電子工作マガジンでコーナーとして再登場し、2018年から別冊附録化されている。 概要創刊当時、パソコンといえば、BASICインタプリタをROM内に搭載、もしくは標準で添付した8ビットパソコン(ホビーパソコン)やポケットコンピュータが主流だった。そしてパソコンの入門といえば、BASICのコマンドの文法からプログラミングまで、実際に動かして習得することだった。 本誌でもっとも特徴的なのは、読者が投稿したオリジナルのプログラムを掲載していたことである。当時はメーカーごとの仕様に基く、互換性の低い数十種類のBASIC言語が存在しており、本誌では各機種に対応したプログラムのリスト(ソースコードを印刷した物)を掲載していた。読者はこれを見ながら自分の手で入力し、そのプログラムが提供する主にゲームを楽しんだ。誌名のとおり、基本的にBASICのプログラムが掲載された一方、機械語を併用したものや、ごく一部ながらほとんどが機械語のプログラムもあった(ダンプリストをモニタで直接入力する形式ではなく、ダンプリストをバイナリに変換しながらメモリに配置するBASICプログラム)。後期には、時代の趨勢もありC言語、Delphi、HSPなど、BASIC以外の高級言語によるプログラムも掲載するようになった。 誌名が変わらなかったのは、「BASIC」の意味にBASIC単語以外に、基本(ベーシック)を大切にするプログラミング誌の意味が込められていたからだとされる[1]。この姿勢から紙面ではしばしば半ば冗談で「ベーマガは教育誌」という単語が踊っていた[1]。 ゲーム以外にも、カロリー計算やキャラクタエディタなどといった、小規模ながら多岐にわたる「実用プログラム」も掲載された。1986年頃からは、ゲームメーカーの許可を得て、ゲームミュージックをパソコンで鳴らすプログラムや、楽譜も掲載されるようになった。 ゲームのプログラムリストを掲載していた雑誌としては、本誌の他に『I/O』、『PiO』、初期の『ログイン』などがあった。これらの雑誌では実行速度の遅いBASICのプログラムではなく、処理が高速でアクションゲームを作るのに有利な機械語のプログラムを掲載していることがほとんどだった。しかもアセンブリ言語のソースコードではなく、ダンプリストの形でプログラムが掲載されており、すなわち0からFまでの十六進数の羅列であるため、読者が直接プログラムの内容を読み取ることが難しかった上に、入力ミスをした場合に問題箇所を見付けて修正するにも技術を必要とした。それに対して、本誌が掲載するBASICはインタプリタ型の高級言語であるため、予約語は簡易な英語をベースとしており記述の意味を読み解くことが容易で、入力に不整合があればエラーメッセージが表示されるため、入力の動機が「ゲームを遊ぶこと」であっても、自ずとプログラムの学習に繋がっていった。 プログラムには、作者が変数の用途、アルゴリズムの解説、機械語を併用している場合はその解説、ちょっとしたテクニックなど簡単な説明を付けているものもあり、改造などによって更に理解を深めることも可能だった。このような性質から、当時はIT業界への登竜門のひとつとして本誌が位置づけられていた。ウルフ・チームに就職し『ソル・フィース』を製作したという経歴で本誌に紹介された[2]Bug太郎など、本誌のプログラム投稿者がそのままコンピューターゲームやアプリケーションソフトウェアの本職のプログラマとなった例もある。 若年者、入門者向けの側面として、大学入試センター試験の数学で出題される「情報処理」分野の解説がある。BASICのプログラムや、アルゴリズムの考え方に特化した試験対策は、他の参考書ではまず見られなかった。 略歴創刊趣味に於ける電気・電子回路や電子工作関連の月刊誌『ラジオの製作』の別冊付録として、1981年4月発売の5月号から発行された。1982年3月[注 1]と5月[注 2]には、『月刊マイコン』・『ラジオの製作』別冊として単独で発売されている。その後、1982年6月発売の1982年7月号で、『ラジオの製作』から独立する形で創刊された。 創刊当時は「パソコン」という語が普及しておらず、後にパソコン(パーソナルコンピュータ)へ分類されるものについても一般的に「マイコン」(マイクロコンピュータの略)と呼ばれる事が多かったため、冠称がマイコンになっている。ただし姉妹誌の『月刊マイコン』がMy Computerの略だった事もあり[注 3]、本誌についても編集部は「マイコンピュータの略」と言っていた。 毎号数十本ものプログラムリストが掲載されてはいたものの、1機種あたりだと多くても数本程度しかないため、他機種のプログラムも活かせるよう、各機種のBASICの「方言」などについてまとめられた「移植テクニックマスター大作戦」という特集記事が、創刊号から長期に渡って連載された。 1980年代を通して、非常に高価な8ビットパソコンがごく限られたマニアの物だった時代から、ファミリーベーシックやMSX・ポケットコンピュータ等、安価な機種の登場する時代を経て、次第に工学的な興味を持った大学生はもとより、小中高校生に到るまで、幅広い年代に手が届く頃になると、様々な機種用のプログラムが投稿・掲載されるようになる。 プログラム投稿誌へやがて同社専門分野向けの『月刊マイコン』、アスキーが発売していた専門分野向けの技術誌色の強い『月刊アスキー』、幅広いパソコン関連情報を掲載した工学社の『I/O』、最も早く休刊した廣済堂の『RAM』という4大誌と順位が入れ替わり、プログラミング投稿誌としての地位を築いた。 なお同世代の他誌には、アスキーのゲーム寄り姉妹誌である『ログイン』、『I/O』の読者投稿に特化した『PiO』、徳間書店のゲーム情報誌『テクノポリス』や読者投稿に特化した『プログラムポシェット』、新声社のアーケードゲーム専門誌『ゲーメスト』、小学館のマイコン雑誌『ポプコム』、角川書店のゲーム専門誌だった『コンプティーク』等がある。 ゲーム情報誌として1983年11月号から、アーケードゲーム等の情報を扱う「スーパーソフトマガジン」という別冊付録が付くようになる。ナムコの開発室から提供されたゼビウスに関する様々な設定情報などは、現在でも貴重な資料としての価値をもつ。パソコンゲームの攻略法が載っていた時期もあり、山下章、手塚一郎などが執筆していた。巻末には全国のゲームセンター100店舗に及ぶ協力店から寄せられた「ハイスコアランキング」(当時は通信機能搭載のゲーム機は無かった)が掲載され、腕自慢にわざわざ協力店に出向いてハイスコアを叩き出すゲーマーもいた程である。 当時としては他に類を見ない濃い内容のコンピュータビデオゲーム情報誌の側面を持っており、本誌よりむしろ別冊付録を目的として買う読者も出現した。しかし付録だけを万引きされる問題が発生したため、1985年1月号より「スーパーソフトコーナー」として巻末に一体化することになる。なお、アダルトゲームに関する情報を一切掲載しないのも特徴の一つである(例外として、販売店の広告内では当たり障りのない範囲でタイトル名や画面写真、パッケージ写真が掲載されることはあった)。 その後もパソコン・コンシューマー・アーケードを問わずコンピューターゲーム関連の記事が幅広く掲載され、パソコン雑誌でありながら、総合的なゲーム情報誌としての一面がより色濃くなった。ゲーム関連の記事のページ数がプログラミングなど技術系の記事を上回った時期や、表紙の写真がパソコンではなくゲーム機やアーケードゲーム基板だった号もあった。 広告掲載や関連記事掲載、また電波新聞社(後のマイコンソフト)が発売しているアーケードゲームからの移植パソコン向けゲームソフトウェアの開発といった事情にも絡み、ナムコやセガ・タイトーといった大手のアーケードゲームメーカーとの間に築かれた関係も深く、精力的にメーカー内の開発者を交えて、内部開発資料から起こした高品質のゲーム紹介記事を掲載するなどしていた。しかし、次第にゲームメーカーの群雄割拠から、全てのゲームメーカーを網羅しきれなくなり、1980年代末から1990年代初頭には、他社ゲーム専門誌に読者を奪われる結果となった。 1989年5月号から1990年3月号まで、「レッツプレイ!コンピュータ・ミュージック」としてDTMに特化した別冊付録が添付され、1990年4月にはComputer Music Magazineとして独立している。その後1999年6月号から再度別冊付録となった後、同誌は同年10月に休刊した。 斜陽その後長らくは、既に市場から姿を消した機種を含むパソコン関連のプログラムを掲載する傍ら、新製品の紹介やゲームレビューなどを地道に掲載し、一定の固定読者層を獲得していた。一方で、90年代に入ると、パソコン低価格化の流れを受け、実用機としてのパソコン記事需要が伸びていったことで[1]、巻頭掲載の実用パソコン記事、投稿プログラミング、ゲーム攻略、紹介記事という3要素がそれぞれ別の読者を抱え、分断されたような様相を見せていった[1]。 1995年4月号から10月号まではCD-ROMが付録となった。インタビューやレポートなど独自の動画をVideo for Windowsによって複数収録しており、Windowsで収録コンテンツを閲覧できるほか、オーディオトラックに投稿プログラムのデータレコーダ音声を収録するという珍しい試みも行われた。付録CDは7号で終了となったが、その後はCD-ROM付きの別冊『BASIC Magazine CD-ROM Special』(4号以降は正題が『オリジナル・ゲームGRAND PRIX』、副題が『BASIC Magazine CD-ROM Special』となる)が5号まで発行された。 しかしインターネットが普及して以降、プログラムソース配布も個人が自分のウェブサイトを介して行う様式が定着、プログラム投稿誌としての需要の低下が進んでいく。 そんな時代の中で発行された1999年4月号では、「リニューアル」と称して、価格は据え置きのままで、当時250~280ページ程度だった総ページ数が186ページになり、内容も大幅に削減されてしまう。ゲーム関連記事は大幅に削減された[1]。この号が発売された途端、公式サイトや読者が運営するサイトなどのウェブサイトで、編集部や内容に対する不満や絶望視する発言などが多く見られるようになり、購読をやめる読者も続出。特にリニューアル直後は、自身のウェブサイトや掲示板上で「今月で買うのをやめます」と宣言する読者も少なくなかった。本そのものが明らかに薄くなってしまった問題に、1999年7月号にて「紙を厚くする」という対応をしたことも、読者の不信と不満をかえって募らせる結果となってしまった。 なお、本誌の産みの親である『ラジオの製作』は、本誌のリニューアルと同じ1999年4月号にて、月刊誌から季刊ムックに変わると発表された。しかし、後に一号しか発行されず、雑誌としては事実上廃刊している。 休刊その後、2001年4月号では、長年本誌を支えてきた市販ゲーム関連の記事を全廃し、中高生向けのパソコン入門誌として特化を試みた。しかし、削除された記事に代わる他の記事が充実した訳ではなかったため、ページ数は130ページとさらに減少。紙は厚いのに本はかつてのリニューアル前より薄くなった。これにより、新たな中高生の読者を獲得しないまま古くからの読者が離れてしまった。 1996年当時28万6000部[3]あった発行部数は、2003年には8分の1程度まで減少してしまい、ついに2003年4月8日に発売された2003年5月号(通巻251号)をもって休刊となった。 休刊する事実は、休刊号発売のおよそ半月前である2003年3月25日に公式サイト上で発表され、ITmediaなど複数のIT系ニュースサイトがニュースとして取り上げた[4][5]。また公式サイトの掲示板には、当時の購読者やニュース記事で休刊を知ったかつての読者から、休刊について惜しむ声や本誌への想いなど多くの書き込みが寄せられた。 休刊後休刊から7年後の2010年、「ゲームプログラマーの育成に対する多大なる貢献」として、CEDEC AWARDS 2010(プログラミング・開発環境部門)の最優秀賞を「元 『マイコンBASICマガジン』編集部とプログラム投稿者」が受賞した[6]。元編集長の大橋太郎が代表してトロフィーを受け取り、後述のイベントなどで度々披露している。 2015年11月8日、3331 Arts Chiyodaにて、トークイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン」が開催[7]。山下章を総合司会に、かつてのライターや編集者が登壇し、当時を振り返った。オープニングムービーとして、1992年に開催された「シャープ第一回X68000芸術祭」のオープニングムービーを映像・音声ともにセルフパロディしたものが使われた。会場規模が定員500人程度と小さいため、入場チケットは発売即日完売した。 2018年1月14日、より大きな会場であるよみうりホール(客席1,100席)にて、同様の趣旨のトークイベント「ALL ABOUT マイコンBASICマガジン II」が開催された[8]。 電子工作マガジンでの復活電波新聞社から2008年より季刊誌『電子工作マガジン』が刊行されている。本誌はベーマガの源流であった『ラジオの製作』の流れを引き継ぐ電子工作雑誌であり、編集長はベーマガの編集長であった大橋太郎である。 2015年3月19日発売の『電子工作マガジン』No.26(2015年春号)から「マイコンBASICマガジン」と称したコーナーが掲載され、またくりひろしによる漫画「時空を超えて!帰ってきた パソコン・レクチャー」も連載されている。今後の展開によっては、月刊誌としてベーマガを復刊する事も検討していると、編集長がFacebookで投稿している[9]。 2018年12月19日発売の『電子工作マガジン』No.41(2018年冬号)[10]から、『マイコンBASICマガジン』が別冊付録として収録されるようになった。別冊付録第1号の表紙は、元祖である『ラジオの製作』別冊付録時代の第1号の表紙を模したものになっている。『ラジオの製作』別冊付録第1号の表紙は、PRINTやLETなどのBASICのコマンドを列挙する形でレイアウトされていたが、『電子工作マガジン』別冊付録第1号は、IchigoJam、HSP、IchigoLatteなど今時のコンピュータや言語の名称を列挙している。 主な連載記事・コーナー
前半ページ(技術系)
後半ページ(ゲーム系)
その他
編集部月刊マイコンの読者コーナーから引き続き、本誌でも編集部メンバーに個性が設けられ、漫画やOFコーナー、コラムなどで描かれた。それぞれモデルとなった編集者が実在し、イベントや他誌のインタビュー等に実名で登場したことがある。
この他、ごく初期には「ラジオの製作」の編集部員であるみどりさん、タロベエ、水虫仮面が登場することもあった。 主なライター技術系音楽系ゲーム系
第一次レスキュー隊
第二次レスキュー隊第三次レスキュー隊
その他のライター別冊『プログラム大全集シリーズ』『マイコンBASICマガジンDELUXE』などとして、各種の書籍・ムックが出版されていた。以下に一例を挙げる。
ALL ABOUTシリーズ→詳細は「ALL ABOUTシリーズ」を参照
アーケードゲームやパソコンゲームの詳解本として、「ALL ABOUT〜」または「〜のすべて」と題する別冊が多数出版された。当初はベーマガ編集部による単発の別冊として製作されていたが、1993年からスタジオベントスタッフによるシリーズ化した。
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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