小林稔侍
小林 稔侍(こばやし ねんじ、1941年〈昭和16年〉2月7日[注釈 1] - )は、日本の俳優である。本名はこばやしとしじ[2]。 和歌山県伊都郡かつらぎ町出身[2]。和歌山県立笠田高等学校卒業[2]。 来歴父親は洋服の仕立て職人。母親と10歳年上の兄が居た。猛勉強をし、国立の和歌山大学教育学部附属中学校に入り、1時間かけて通学していた[3]。この学校を受験した理由は、当時恋愛に憧れを持っていた小林に友達が「あのな、和歌山大学(学芸学部)附属中学に通う女の子はかわいいらしいで」と耳打ちしたことにより、心底行きたいと思ったから。通学時も歩きながら勉強していたという[4]。中学生の頃から高倉健のファンで映画界に憧れを持っていた[5]。「おふくろに家を建ててやりたい」という一念で映画界を志す[6]。第10期東映ニューフェイスの試験日と大学の入試日が重なり迷った挙句、親には大学入試へ行くと嘘をつき、学生服姿で試験を受け合格した[2]。同期に池田駿介・吉田豊明がいた。当初は本名で活動していた[7]。 デビュー後の1960年代初めから1970年代中頃まで、主に東映東京製作による高倉健・千葉真一・梅宮辰夫ら主演のアクション映画・仁侠映画やアクションドラマ・刑事ドラマ・特撮番組などに出演。 駆け出しの頃は殺され役が多く、トイレの金隠しに頭を突っ込んで最期を迎える《ギャングA》とか[2]、汚い油の浮いた漁港に落ちて死ぬ役とか[2]、ロケ現場で進行係が「誰か海に落ちるヤツいないかあ!1800円!」と叫ぶと仕出し(大部屋俳優)の連中が早い者勝ちで手を挙げた[2]。当時はこうした経験も楽しかったと話すが[2]、お茶の間にも知られるようになった1986年の『はね駒』出演時に東映ニューフェイス第10期18人のうち、現役の役者として生き残っていたのは小林と吉田豊明の二人だけだった[2]。 1967年の『キャプテンウルトラ』でレギュラー出演をしていたが、初めてポスターに名前が刷り込まれた映画は、1970年の『やくざ刑事』である[8]。深作欣二の推薦でピラニア軍団のメンバーになり[9]、『新仁義なき戦い 組長の首』では当初、バーテンダー役でワンシーンのみの端役出演だったが、監督の深作から主人公の弟分役へ抜擢された[注釈 2]。 役者として最初に評価されたのはセリフなしで好演した1978年の『冬の華』で[2]、小林も忘れられない一本と述べており、「台詞が一言もない小林稔侍が抜群だ」と掲載された1978年5月24日付スポーツニッポンの映画評を宝物にしているという[12]。石井聰亙監督に請われて出演した1980年の『狂い咲きサンダーロード』あたりから善人役の比率が増え[2]、1985年の大林宣彦監督の『さびしんぼう』では主人公の父親役を好演[2]。同年の『夜叉』では高倉健の弟分役まで出世した[2]。1986年に『はね駒』で主人公の父・橘弘次郎にキャスティングされ、転機を迎える[2]。無口な父役が好評でお茶の間にも知られることになったが[2]、この時点でノンクレジットの映画も含めると出演作は約200本あった[2]。 1989年11月14日には『なんでも屋探偵帳』で初主演。同作はシリーズ化され、このほかにも、表の顔は冴えない税務署の署員で、裏の顔は政界の"疑獄"を暴く税務調査官を演じる『税務調査官・窓際太郎の事件簿シリーズ』など、2時間ドラマで多数主演を務めた。2時間ドラマ枠に於いて、長年挙って映像化されてきた松本清張原作作品の常連俳優でもあった。 2018年公開の『星めぐりの町』で映画初主演[13]。男性タレント好感度ランキングで上位にランキングされた[14]。 人物
受賞
出演映画
テレビ作品
テレビ番組
CM
脚注注釈
出典
外部リンク
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